日本型ヒーローが世界を救う!

いわゆるオタク論の本かな、と思ったわけなのですが。

日本型ヒーローが世界を救う!

日本型ヒーローが世界を救う!

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まず、近場の書店などで見つからなかったことからネットで検索を書け、宝島社のホームページなどで章立てなどを読む。非常に期待が持てそうな内容だった。
取り寄せて読み始めて、愕然とする。失望する。
特に、序文、用語集、一章め、と読み出したので落胆は激しかった。平たく言ってしまえばオヤジ臭がプンプンしたし、僕はアメコミは嫌いだが、アメコミを比較対象として持ち出し「アメコミにはスーパーマンしか存在しない。スパイダーマンはタイツを着たスーパーマンだし、スーパーガールは女装したスーパーマンだ」というような落し具合には鼻白んだ。


だが、読み進めていくにしたがって、その意味が分かる。
この本の本質は、そんなことろにはないのだ。


著者が語りたいのは文化論なのである。
確かに、アメコミには近年はさまざまなストリームがあり、一概にスーパーマンのコピーばかりという風潮ではなくなったように見える。集団を形成するヒーローも多数存在し、ヒーローの弱さ、敵側を描くことも少なくない。
こういったことに触れないことはアンフェアと取れるかもしれない。
しかし、読み進めると、筆者はこういったものをきちんと把握しており、その上で、あくまで一元論的な視点でしか構成されないアメコミの文化性を「すべてスーパーマンだ」と評しているのだ。
何も、右翼的に国粋主義を唱えているわけではない。


そう気付いてからは読むスピードが早くなった。
文化人がオタク評論をしたときにありがちな、オタク文化の上っ面をなめたような(手塚治虫とベルばらとエヴァンゲリオンしか出てこないような)本とはワケが違う。
「マカロクほうれん荘」が好きだと公言し、押井守に傾倒し、CLAMPに今後のコミックス業界の趨勢を見る著者は、齢50を過ぎ、高学歴高収入、かつ華々しいキャリアを持ってはいるが、立派なオタクだ。


そして、この本のすばらしいのは、何より筆者の研究熱心さである。
アニメ、コミックスそのものは広範に、それらの評論、数々のオタク論やサブカル論、更には昭和を語る上での芸能論や文化論までを網羅し、これらを組み立てる。
まぁ、「結論ありき」なのは目をつぶるとして。
著者の導き出す世界観、それが素晴らしい。
彼の姿勢は「オールOK」なのである、「全肯定」である。パクリですら(道義的な問題は別にし)文化の上では、一つの必要な作品であり。「おしかけ」のコラボだと主張する。
その懐の深さには脱帽だ。


もちろん、この本は、「論」の一つでしかないわけだが。
少なくとも、すべてを「欧米に劣る」「猿真似に過ぎない」「病理だ」と切り捨てるよりははるかに心地良く、ポジティブではないだろうか。
ただまぁ……アメコミの熱心なファンと大塚英志のファン*1には、快くは思われないだろうけどね(笑)。

*1:ちなみに、僕は彼の著書もよく読んでいる。ファンといっていいと思う。彼の視点はすばらしいが、何につけてもルサンチマン的にオタクジャンルを貶めたがる姿勢は、何かに駆り立てられているようで、可哀相だなぁと思ってしまう。