しつけ

出先で入ったスーパーマーケットで世にも最低な光景を見た。
子どもが玩具か何かを買ってもらえずに駄々をこねている、まぁ、こういうのはワリと普通の光景なのだろう。
結局、その母親は子どもの望みのものを買ってやらずにレジへ。
キレた子どもがレジ前にあるドリンクの棚から、栄養ドリンクの瓶を取り上げて叩き付けた。
当然、瓶は割れ、派手な色のドリンクが床に広がる。


ところが。
呆れたことに。この子ども。
男のクセに、自分で割ったドリンク瓶がショックだったらしく、ビェービェー泣き出す始末。
慌てて駆けつけた男性店員は「いいんですよ」とかいいつつ片付けをしていたが。
……よくねぇよなあ。
サービス業としては止むを得んのかもしれんが。


商品の弁償はまぁ置いておくとして、謝罪の一言は当然必要だろう?
しかしこの母親、「怖かったねぇ」とか言って、子どもをなだめるだけで店員にはそ知らぬ顔。だから当然子どもは泣き止むはずがない。
悪いことして親が優しくしてくれるって、どんな教育だ? 成長したらさぞかし立派な犯罪者に育つことだろう。
呆れ果てる。


「子どものしつけができねぇんなら、子どもなんか生むんじゃねえ」
珍しく言ってしまった。
悪いのは子どもではない。子どもをしつけることのできない親と、環境なのだ。
僕は、親や教師にブン殴られて怒られ、たくさんのことを学んだ。今では感謝している。女の子に手を上げてはいけない、人に嘘をついてはいけない、など。
それは僕の本質になった。尊いものだ。
体罰が……という言葉は、軽々しく使うものではない。少なくとも、度を過ぎた体罰で苦しむものもいる。しかし、その反面、うわべだけの空虚な権利主張でしつけを忘れ、社会に溶け込めない子どもを送り出している大人たちもいる。
正解や絶対適性量はない。
悩んで苦しんで、その上で導いてやることが、大人ができることなんではないかと思う。
少なくとも、僕はそうありたい。